学生処分問題を考える
この数年間で学生の自主的な活動に対する規制や弾圧はどんどん激しくなっています。その最大のものが、学生への停学・退学などの懲戒処分です。
発端となったのは2015年に同学会中央執行委員会が行った戦争反対のストライキです。これに対して京大当局は「威力業務妨害」で刑事告訴しましたが、不起訴となりました。それにも関わらず、4名の学生に無期停学の処分を下し、さらには「反省しない」ことを理由に退学処分にしました。その後、2018年には学内でのビラ配りを「建造物侵入」と言って逮捕させることまでしています。
このストライキ処分以来、これまで「京大の文化」とされてきたキャンパスでの集会イベントや立て看板への規制がはじまり、事あるごとに職員がビデオカメラとプラカードを持って学生を弾圧し、懲戒処分を繰り返しています。
・2017年2月、安田同学会委員長への無期停学
・2018年9月、熊野寮生3名への無期停学
・2018年12月、オルガ像設置者へのけん責
これらはいずれも「職員への抗議」や「職員の命令に従わなかったこと」が「学生の本分に反する」行為として処分の理由とされています。
学生の本分とは、批判を飲み込んで大学当局の命令に唯々諾々と従うことなのでしょうか。抗議や批判すら許さないこれらの弾圧は、民主主義を根本から否定するものです。
特に安田委員長に対する無期停学処分は、職員による暴行の事実をなかったことにして一方的に「反省」を強要し、2年半以上たった今も停学の解除すら行われていません。未だキャンパスへの立ち入りを禁止し、年間54万円の授業料の支払いを命じ続けています。一種の罰金刑であり、見せしめの弾圧です。
「大学が決めたルールに従うのは当然では」と思う人もいるかもしれません。しかし憲法に書かれた集会の自由や表現の自由に矛盾する大学のルールに抗議するのは当然の権利ではないでしょうか。
今の大学では基本的な民主主義すら無視されています。2016年4月に学校教育法が改正されたことをきっかけに、教授会の権限すら徹底的に破壊され、わずか9人の役員会が独裁的な力を持つようになりました。2000年代から続く大学改革によって学生と京大当局との交渉の場は停止し、情報公開もされなくなり、まともな説明もないままに「大学が決めたことだから」と規制や弾圧が繰り返されています。
昨年の12月には一方的な処分に抗議する学生・教授・市民の有志が集まって集会を開き、弾圧に来た職員と対峙する状況も生まれています。
今の京都大学は、おかしいと思ったことに対して抗議しようとすれば、必ず処分の問題に突き当たります。私たち同学会執行委員会は、これまでの不当な学生処分の撤回を京大当局に求めています。ぜひみなさんも京都大学で起きている学生処分の問題について考えてみてください。
(作部)
(上写真)入試日に設置されたオルガ像
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